振り返るだけの過去①

人生
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私は自分の人生を振り返ったとき、もう一度自分の人生を歩みたいとは思わない。自分が一番不幸だとも思わないし、今までの人生が幸せだったとも感じない。ただただ疲れている。そんな気持ちが胸の中にある。

人生は、さまざまな選択や出来事の連続であり、その中で私が経験してきたことは、決して無駄ではなかったと思いたい。しかし、それでも心の奥底には、もう一度あの道を歩きたいとは思えない感情がある。

このブログは、そんな私の歩みをつらつらと書き綴る場所です。過去の出来事や思い出、そこから得た教訓を振り返りながら、自分自身を再評価する機会にしたいと考えています。私の経験が、誰かの心に響くことがあれば嬉しいですし、同じような思いを抱えている人たちとのつながりが生まれればと思っています。

この場を通じて、自分の気持ちを整理し、新たな視点を見つける手助けができたらと願っています。疲れた心を少しでも軽くし、過去を受け入れ、未来へと歩き出す勇気を見つけるための一歩になることを願って。

幼児の記憶〜頭の片隅にあるもの

私は3人兄弟の末っ子として生まれました。姉と兄がいますが、歳も離れているため、兄弟仲はあまり良くありませんでした。

母は私が3歳のときに亡くなりました。
母に関する昔の記憶はほとんどなく、断片的に思い出すのは、家族で暮らしていた団地で、布団の上に横になっている母の姿です。彼女は病弱だったのでしょう。

また、父方の実家に預けられていたこともあります。
しかし、最も鮮明に残っているのは、母の葬式の場面です。棺に入っている母に花を添えた後、何もわからないまま大泣きし、父に抱っこしてもらったことが今でも心に残っています。

私の母の死因は「膵臓がん」でした。しかし、そのことについて私は誰にも聞けずにいました。なぜなら、母が亡くなったのは「私を生んだせい」と思っていたからです。
「なんで私だけ生きているんだろう」と、周りの人たちがそう思っているのではないかと感じていました。

私が大きくなってから、やっと自分の力で母の死因について聞くことができました。それは、父方の祖母が亡くなる前のことでした。
このとき、ようやく母の病気について知ることができたのです。心のどこかでずっと抱えていた疑問が、少しだけ解消された瞬間でした。

母の葬式が終わった後、私たち兄弟3人は父方の実家で暮らすことになりました。しかし、この時期の記憶は全くありません。
父は一緒には暮らしておらず、違う県に単身赴任をしていたためです。そのため、兄弟だけでの生活が始まりましたが、当時の感情や状況については思い出せません。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回は、小学校に上る前の私の思い出や、どのように家族と過ごしていたのかについてお話ししたいと思います。子ども時代の無邪気な日々や、心の葛藤がどのように私の成長に影響を与えたのか、一緒に振り返ってみましょう。お楽しみに。


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